というわけで、一に多大な世話になりつつ、パソカレッジ大久保を開校することができました。
それからも一は、WEB製作者として、デザイナーとして、講師として、他の仕事を抱える中、本当にがんばってくれました。
講師としての一ですが、主に、ホームページ制作やデザインを学びたい人をお願いしていました。
また、教室開設時は、パソコン初心者の生徒さんを見てもらってもいました。
初心者の人が文章や絵を描くために、オリジナルの教材を作ってくれました。
生徒さんの習熟度をはかるのに、この教材は非常によくできていました。
また、一が担当していた初心者の生徒さんに、自分の毎月の行動を記録したい、という要望を持つ方がいました。
その生徒さんのために、彼は、初心者でも毎月簡単に更新できるような、行動記録表を作ってあげていました。
他にも、60代ながら、非常に絵心のある生徒さんがいました。その生徒さんのためにも、オリジナル教材を作ってコンピュータグラフックの授業を行ってくれました。
その生徒さんは一を慕っており、年賀状も自分と一の分を一通ずつ送ってくれていました。
一の訃報を告げた時は、本当に悲しんでした。
開校して一ヶ月半ほど経つと、八千代台での就職支援学校講師が再び始まりました。
しかしながら、「幕張本郷から電車を乗り継いで八千代台に行くよりは、大久保まで自転車で行ったほうが早い」と言って自転車を購入し、大久保教室にそれを置いて通勤していました。
もちろん、交通の便もあるのでしょうが、そうやって、向こうの仕事が始まってからも大久保教室に関わってくれたのです。
他にも、大久保の町を調べ、「このあたりでチラシをまくといいんじゃない?」とか提案してくれもしました。
宣伝活動の一つに、地域で配るフリーペーパーの広告がありました。
先方より、「講師を二人とも載せたほうがいい」と提案された事もあり、お互いで写真を撮り合い、それを一が合成して広告写真を作りました。
この時はまさか、その時に撮った写真が、わずか三年後に、彼の葬儀における遺影として使われるようになるとは、夢にも思っていませんでしたが…。

八千代台がメインになったあとも、一部の生徒さんの授業を見てくれ、サイトの更新・修正もやってもらっていました。
その間も、少ないながらお礼はしていたのですが、2013年の4月からは、授業は彼の専門分野の生徒さんのみで、報酬はその時のみ支払う、という形を提案してくれました。
教室の経営が思わしくないのは、見ればわかるので、それだけ、気遣ってくれたのでしょう。
また、いつの頃か自転車通勤もやめ、幕張本郷から八千代台まで電車で通うようになりました。今にして思えば。、遺書にあった「体にガタが来ていた」が理由だったのでしょう。
その後、2014年になり、それまでの実績などから、サイト制作の引き合いが来るようになりました。
こぎつけるまで、色々と苦労はしたものの、2014年の秋から2015年の初頭にかけ、三つほど、二人で協力してサイトを作成しました。
開業当初の目標の一つがやっと実現でき、嬉しく思ったものでした。そして、これからはこの事業をさらに伸ばしていければ、と思っていました。
もっとも、三つ目のサイトが完成した時点で、一はすでに人生を閉じることを考えていたのですが…。
ただ、その後も単発でのホームページ制作やデザインソフトの学習を希望する人が来れば、二つ返事で授業をやってくれました。
ある生徒さんなどは、その明快な授業に感心して、わざわざ家族にも受講を勧めてくれたほどでした。
そんなある日の授業で、予定より短く終わった事がありました。基本的に、授業料は1時間5千円で、それを折半する、という形になっています。
短すぎて彼の報酬額が少ないと思い、「いいから今日は全額取っておいてよ」と渡しました。
その時は受け取りましたが、それ以降の授業では、向こうから「じゃあ半額ね」と言うようになりました。それだけ、こちらを気遣ってくれたのでしょう。
そして9月末に結果として一にとって最後となる生徒さんが入会しました。
その生徒さんは、5回の受講をする契約となりました。その2回目となる2015年10月7日の授業が終わりました。
終了後に「今にして思えば…」という事はあったものの、授業はいつもどおり、丁寧に行っていました。
その時点では、翌週の15日に次の授業を行う予定でした。しかしながら、それは生徒さんの都合でキャンセルとなりました。その結果、この日が、一がパソカレッジ大久保教室を訪れた最後の日となったのです。
自分の教室で一の指導を受けてパソコンを覚えた人、サイトを作ってそれで仕事をしている人、指導を活かして事業に役立てている人が少なからずいます。
また、八千代台の教室で彼の指導を受け、それを活かして就職できた人もいました。
一はこの世から去りましたが、一の指導は今でもその人達の中で生きているわけです。
その筆頭は、一に教わっていろいろとパソコンを習得し、それで生活するようになった自分であるのですが…。