一の趣味の一つに、ロック鑑賞というのがありました。
1989年に筋肉少女帯の「日本印度化計画」を聞かされたのが、自分にとっての「一とロック」に関する最初の記憶です。
この頃は、「バンドブーム」と言われるほど、ロックバンドが流行していました。
そういう事もあり、筋肉少女帯をはじめ、色々なバンドのライブに一緒に行ったりもしました。
一にはロックバンドに対するこだわりが一つありました。それは、英語を多用せず、日本語の歌詞で歌うバンドが好き、という事でした。
その後、東中野で二人暮らししていた時も、二人で筋肉少女帯のCDを聞いたり、たまにライブに行っていました。
ただ、バンドブームも終わり、また、我々の関心も、ゲームやプロレスのほうが中心になっていったので、東中野のアパートでロックバンドが話題になることはさほどありませんでした。
ところが、一は高輪に戻ってから、かなり熱心にロックバンドに関わるようになりました。このあたりの経緯は全く分かりません。
関わっていたバンドのライブのみならず、打ち上げにも行っていたようです。一度、CDを貰った事があります。
さらに、それが縁で、複数のバンドからホームページ作成を依頼されていました。
それを通じて、最新のウェブ作成技術を身につけ、後の仕事につながる事になったわけです。
サイト作成以外では、どのようにロックバンドと関わっていたかはよく分かりませんでした。
ただ、2006年夏には知り合いのバンドツアーを見に行くため、わざわざ関西まで旅行しています。
ちなみに、一の作ったロックバンドのサイトの一つです。メンバーを見ると、大阪のバンドのようです。
また、パソコンには、ロックバンドの打ち上げに行って、メンバーと楽しそうに写っている一の写真も残されていました。これは2009年の写真です。
また、2007年には、一が大好きだった漫画「さよなら絶望先生」がアニメ化され、その主題歌を筋肉少女帯のボーカルである大槻ケンヂさんが歌いました。
好きな漫画と好きなロックバンドの組み合わせということで、一はこの作品に非常に入れ込んでいました。
そして、主題歌のライブを聞くために、日比谷野音などに行っていました。
一方、自分は東中野から引っ越してからは、ロックはほとんど聞かなくなりました。
ところが、2008年に転職した際に、自己紹介で「筋肉少女帯が好き」と社内報に書いたら、ファンの先輩社員たちからライブに誘われました。
そして、チケットが余ったという事があったので、一に声をかけ、十数年ぶりに一緒にライブに行ったものでした。
2009年には、赤坂で行われた筋肉少女帯のライブの帰りにカラオケに行って、二人でライブで聞いた曲を歌ったりしたものでした。
一はカラオケが好きで、友人と飲んだ帰りによく行っていたようでした。
また、東中野に住んでいた時は、共通の友人と一緒に、一とカラオケを楽しんだものでした。
しかし、彼が幕張本郷に来てから、飲みにはよく行きましたが、カラオケには行きませんでした。そういう事もあり、結果的に、この6年前の赤坂が、自分にとって、彼と行った最後のカラオケになりました。