一とは25年間同じ部屋で暮らし、また最後の6年間は、同じ町で暮らしました。
それだけ付き合いが長かったため、必然的に最も喧嘩をした相手でもあります。
子どもの頃は取っ組み合いの喧嘩もしました。
しかし、おそらくはその十倍くらい、口喧嘩をしたものでした。
そして、小さい頃から、何度も一にやりこめられていました。
一は頭の回転が早く、こちらが言った事に何か欠陥があったら、そこを鋭く突いてきます。
後から思い起こせば、「最初に言ったのと矛盾しているじゃないか」と思った事もありましたが、後の祭りでした。
あと、これは今になって思うのですが、彼の確固たる人生観もあったのかも、と思っています。
自分の人生観は、普通に大学に行って就職し、結婚して…みたいな世間並みなものでした。
しかし、彼は遺書で書いていたように、小さい頃から自分の生きる意味やいつまで生きるかを決めており、その考えに従って発言・行動をしていたわけです。
その違いも、彼が口喧嘩に強かった原因かと思っています。
いずれにせよ、言い負かされるのは嬉しいことではありません。
対抗するために、自分が勉強したのは論理学でした。
こちらの論理が一貫していれば、いくら頭の回転の早い一でも付け込めないだろう、と思ったわけです。
その効果もあり、大人になってから、一度ならず「大野さんは論理的だ」と言われた事がありました。
これも、一との口喧嘩の副産物と言えるでしょう。
東中野で二人暮らしをしていたとき、最初、一は近所の喫茶店でアルバイトをはじめました。
しかし、そこが短期間で閉店すると、それ以降、働く気持ちがなくなり、アルバイトも探さなくなりました。
当時はそのことで何度か言い争ったのですが、繰り返して語る一の人生観に納得し、その事で言い争うのはやめることにしたものでした。
また、2010年に一が幕張本郷に来てからは、ほとんど喧嘩することはありませんでした。飲みに行って二回ほど言い争いになりましたが、翌日にはすぐにお互い謝ったものでした。
そして、一緒にパソコン教室をやっていたとき、面白いことがありました。
自分が、ツイッターで千葉市の小中学校エアコン未設置問題を批判したところ、現職の千葉市長がわざわざそれを検索して、言いがかりをつけてきたのです。
もちろん、こちらも反論したのですが、数日後、それを見ていた一に、「あの対応は良かったね」と言われ、嬉しく思ったものでした。
そして先日、今度は現職大阪市長兼政党代表にツイッターで絡まれました。
あまりに内容が稚拙だったこともあり、見た時は吹き出してしまいました。
そして即座に反撃したところ、大いに話題になり、女性週刊誌に取り上げられ、ヤフーニュースにも転載されました。
自分で言うのもなんですが、圧勝だったと思います。これも、一のおかげと言えるでしょう。
ただ、それについて、以前のように一の論評が聞けなかった事は、本当に残念に思いました。
あれから4年半経ちましたが、今でも、何かあると、一に話しかけます。特に、死を選ぶ以外の道はなかったのか、ともう存在しない一に向かってよく言います。
それに対し、一はどう返事をしたのでしょうか。聞きようがないのはわかっていますが、その答えを知りたいと思っています。