幕張本郷に来た頃の一(2010ー2011)


 2010年6月に、一が幕張本郷に引っ越してきました。
 それに至る経緯が経緯だけに、単純に喜ぶことはできません。とはいえ、約12年半ぶりに、一と同じ地域で生活できる、というのは非常に嬉しい事でした。
 引っ越しの直後には、幕張本郷の街を一通り案内しました。

 引っ越した当初は、まず生活環境の整備と仕事探しが主題でした。
 生活環境のサポートはある程度できたとは思います。ただ、仕事探しのほうは、自分でも情報は集めてはみたものの、結局、役に立つことはできませんでした。
 そんななか、一は深夜の工場でアルバイトするなど、頑張っていました。
 そして、母の尽力もあり2011年の3月より、船橋にある就職支援学校の「WEBデザイナー科」に通うことになりました。
 これは、厚労省による、求職者に技能を身につけさせ、さらにその間は、援助金を受講者に支払う、という制度でした。

 以前、一は「自分は実質的に小卒だ」と言った事がありました。
 自分も全然覚えていないのですが、かなり中学校の授業をサボっていたとのことでした。
 そして、高校は二度中退しています。
 しかしながら、今回の「学校」においては、彼は授業を皆勤しました。そして、かつ極めて優秀な「生徒」でした。
 なにしろ、独学とはいえ、コンピュータの知識は、並大抵ではありません。
 基本的な知識は、その学校の「先生」より上でした。
 そのため、授業において困った事があると、先生たちは「ここはどうすればいいのでしょうか、大野さん?」と一に尋ねるようになりました。
 はたから見るとすごい話ですが、自分としては、そのような話を一がするのを、当然の事として聞いていました。
 なにしろ、当時、上場企業のシステム担当者としてグループ各社のコンピュータ全ての面倒を見ていた自分も、困った事があれば、一に頼っていたのですから…。
 あと、年齢(当時40歳)を言うと、皆がびっくりする、という話もよく笑いながらしていました。まあ、これは大野家共通の特徴ではありますが…。

 この頃、自分は定期的に一の部屋におじゃまして料理を振る舞ってもらっていました。
 それまでも、高輪に行った時は、彼の料理を食べていました。とはいえ、周りに気兼ねなく好きなことを話し、かつ終わったあとすぐに寝る、という状態で飲むのは、東中野で二人暮らしをしていた時以来です。
 また、料理の腕がより上達した一による、餃子やビーフシチューなどの大野家定番の料理は、本当に美味でした。
 この頃、自分は仕事がきつく、心身とも疲れる事が多々ありました。そんな中、一の料理を食べながら、酒を飲み、楽しい会話をしたこの一の部屋での宴会は、本当に楽しく、心が安らぐ時間でした。
 下の写真は、自分の大好物である、大野家餃子・枝豆・野菜サラダの三点セットを一が作ってくれた時のものです。

一が作ってくれた、自分の三大好物である、大野家餃子・枝豆・野菜サラダです。
一が作ってくれた、自分の三大好物である、大野家餃子・枝豆・野菜サラダです。

 結局、この一の部屋での食事会は、2012年のパソカレッジ大久保教室開業直後まで続きました。その後、お互い色々と忙しくなったため、「外飲み」オンリーになってしまいました。
 この、美味しい料理に美味しい酒、そして楽しい話がもう二度とできないと思うと、本当に寂しい物があります。

 ところで、彼が幕張本郷に来て半年ほど経った2011年の1月23日に、美加さんと二人で、彼の誕生日祝いを近所の居酒屋で行いました。
 この時、彼はかなり喜んでくれました。
 そして、その翌年の5月22日の事でした。数日前に彼から声をかけて我々を招待し、誕生祝いと全額おごってくれたのです。
 これも本当に嬉しく、今でもよく覚えています。

 そして、就職支援学校を、「先生を指導する」ほど優秀な成績で卒業した一は、直後に別の就職支援学校の先生となり、かつ彼女を作ります。そのような激動の2011年でした。