2011年に職業訓練学校を卒業した一は、その直後に、就職を決めました。
しかも、就職先は、八千代台にある、別の会社が運営している就職支援学校でした。それまでの「生徒」がいきなり先生になったわけです。
その話を聞いた時、さすがに自分も驚きました。一方で、同時に「やはり彼は、本気を出せばこのくらいの事は簡単にできるのだな」とも思ったりもしました。
他の家族にも言っていたと思いますが、「ろくに中学校にも通っていなかった自分が、『先生』として、他人を教えるのだから、世の中は不思議だ」とよく言っていました。
そして、初めて「先生」になった彼は、その仕事を責任感をもってこなしていました。
また、この頃から、あごひげをたくわえ始めました。誰かに、「大野先生、ひげを伸ばしたほうが似合いますよ」と言われたのがきっかけ、とい言っていた記憶があります。
先生業を始めたころの飲み会で、よく聞いたのは、「困った生徒Nさん」でした。
そのNさんは、かなり年のいった人で、就職を目指すのではなく、支援金を小遣いにするために入学したという感じでした。
その不真面目さについて、かなり困っていたようでした。
他にも、やる気がなく、かつ他の生徒に余計なちょっかいを出す人にも手を焼いていたようでした。
そのような話を、よく飲み会で聞きました。
とはいえ、基本的には、このような「困った生徒」よりも、「いい生徒さん」の話をよく聞きました。
特に記憶に残っているのは、就労経験のない息子を何とかするために、自分も一緒にその学校に入ったお父さんの話でした。
基本的にパソコンの習得速度は、若ければ若いほど早いのですが、そのお父さんは、息子さんより優秀だと、よくほめていました。
他にも、頑張っている生徒さんの話を、飲み会のたびに話してくれました。
また、生徒さんや教室のスタッフにも慕われていたようです。
特に、シングルマザーで頑張っている人には、かなりの好意を持たれていたとのことでした。
先述したように、その時は最初の彼女ができたばっかりなので、その生徒さんの熱意は喜んでいましたが、好意に対しては困っていたようです。
また、単に生徒を教えるのみならず、学校全体の事にも、色々と考えたり心配していました。
ただ、その真面目さ・真摯さが報われることはありませんでした。
彼は、契約社員という立場で、授業がある時のみ報酬を得る、という形でした。
しかしながら、時間外も、学校の打ち合わせをしたり、うちの教室で授業の予習をしたりしていました。
ところが、その熱意や努力に対し、学校は、労働条件を切り下げたり、無償労働を強いたりしていました。
その結果、2014年に一は退職しました。それからしばらくして、学校自体が厚労省の認可がおりなくなり、廃止になったそうです。
この学校の不当な仕打ちも、「気楽に生きられなくなった」と彼が思うようになった一因ではないかと思っています。